昭和34年9月伊勢湾台風

昭和34年9月伊勢湾台風(1)

 

昭和34年は五條地区医師会にとっては多事多難の年となった。
当医師会が主務となり奈良県医師会総会・医学会総会が五條高校講堂で開催されたのは、5月24日のことであった。


その4ヶ月後、五條市を未曾有の災害が襲ったのである。
当初台風15号と呼ばれ、後に伊勢湾台風と呼称されることになる巨大台風は、9月26日午後6時過ぎ潮岬の西15km付近に上陸、紀伊半島を縦断した。
大台ケ原で降雨量は622mm以上に達し、この豪雨を集めた吉野川は(保持しきれないと判断したダムの放流も加わり)一気に増水、東吉野から五條に至る吉野川沿岸は濁流により未曾有の被害を被った。

 

昭和34年9月伊勢湾台風(2)



五條市では午後5時に警戒水位3.6mを突破し、午後8時半より氾濫し始め、遂に左岸の野原町地区、右岸の五條、新町、川端地区が濁流の浸食するところとなった。午後10時の水位は10mという記録的増水となり、五條市では被害者数8,180人、死者4名、負傷者7名、家屋全壊327戸、半壊461戸、流失124戸、床上837戸、床下浸水178戸の大災害となった。

この他、吉野郡で13件、宇陀郡では7件の医療機関が罹災し、奈良県全体では28件の医療機関が罹災するという、過去に例の無い大災害となった。

このような状況に対して奈良県医師会は救護班を6個班編成し、各地区に派遣している。
五條地区では、罹災を免れた医療機関が五條市医師会救護班を編成、9月28日より10月5日まで五條市内6カ所で救護活動を行い、県医師会から派遣された五條市水害救護班が10月1日から2日まで、市内3地区にて救護活動を行っている。
その救護報告が奈良県医師新報11月号(号外)に掲載されている.